2011.3.31    2011.3.11 14:46

ブログが滞ってしまって1ヶ月。その間にブログを更新しようとしたのだが
この事に触れるべきなのか触れないでおこうか、迷っていた・・・
でも何事も無かったかの様にブログを更新するわけにはやはりいかない。

タイトルにもあえて強く書いた あえて残るように

この日この時間に、誰も想像できなかった予想をはるかに超えた惨事が起きてしまった。

生まれ育った故郷の、家族がいる仙台が被災した・・・


いま各地で支援活動が叫ばれている。その1つの募金もとても素晴らしいと思う。
復旧・復興のためには莫大なお金が必要になるし、募金する心が素晴らしいと思う。
ただ、募金したから支援したで終わってしまうとしたらどうなのだろうか。

行方がわからない人もまだたくさんいる。避難所の状況の格差もまだある。
水・電気・ガスのライフラインの復旧も地域によってまだまだだし、
仙台市内では新たに下水処理の問題も出てきてしまっている。
今まで通りのただただ普通の生活をするのがどれだけ困難か。

メディアで取り上げられるのも減っていくのだろう。
テレビではニュースでしか取り上げられなくなるのだろう。
1ヶ月後、3ヶ月後、半年後、1年後、5年後、10年後にも、
いま皆が持っている心を持ち続けることが支援になるのではないだろうか。

普通の生活ができる様になるのにはものすごく長い年月が必要になるのだから


被災された方に「がんばれ、あきらめずに」と言うのを聞くが、
想像できないほどの絶望感を感じながらもあきらめている人などいないし、生きるために十分頑張っている。 いや、頑張るしかないと言ったほうが正しいのかもしれない。

むしろ頑張るのは僕たちではないだろうか、被災地以外の日本全国の僕たちが頑張ることが必要なのではないだろうか。

節電が被災地の人たちのためと思っている人がいるのかもしれない。まったく違う。自分たちのためである。自分たちの生活のための節電なのである。
なのに、たかが1日3時間の停電に文句を言っている。
もちろんたかがが、病院や製造業やサービス業などたしかに非常に厳しく大変な状況にあるということもわかる。
しかし、これが僕たちの頑張ることなのではないだろうか。

被災地ではライフラインが完全復旧していないところだらけだ。それが当たり前になってしまっている。
でも、その中でも現地の公共機関・医療機関・企業・自営業などすべての人たちができる限りなんとかやろうとしている。
僕たちもいまの状況の中で、今まで通りとはいかなくてもいかに頑張って負けずに知恵を出し努力することなのではないだろうか。
本当に大変だ。しかし被災地の人たちはもっと大変なのだから。


さらに・・・
福島産はどうとかまるで福島が何かしたかの様だが、とばっちりもいいとこである。
東京電力の福島原子力発電所の作る電力は僕たちが使っているのである。
福島の人たちが使っている電力ではない。
僕たちが使う電力を作るためにある福島原発の事故による被害を
何の関係もない福島が、福島の人たちが受けている。風評被害なんてひどすぎる。
原発の影響で今後さらに、漁業・農業は深刻になっていってしまうのだろう。
そうでなくても、津波の被害で港の壊滅、田んぼ・畑の土壌の海水被害があるのに。
そんな中で漁業・農業を復興させるには他人事ではなくみんなで考えていくことが必要なのではないだろうか。



何様かのように偉そうに書いてきたが、これは大きな独り言である。

自分自身に問いかけている


家族がいるのに、思い出がたくさん詰まっている仙台がこんな事になってしまっているのに、

自分の無力さを痛感する



音楽の力とは

何のためにやっているのか

音楽をやっていく意味、 ドラムを叩いていく意味を

考えていきたい




keep on doing